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無声映画の弁士は、総理大臣よりも偉かった?

大正時代から昭和の初期にかけて、日本の映画は無声映画の全盛時代でした。
無声映画には、弁士がつきものですが、実はこの弁士、「暗がりの王者」とまで言われ、まさに映画史の一時代に君臨していました。
昭和の初め頃は、東京だけでも2000人以上の弁士がおり、彼らの収入は米一升が30銭だった時代に何百円、中には1000円を超えるものもいたというから驚きです。
当時の内閣総理大臣の収入をしのいでいた弁士が何人もいたということで、まさに王者の貫禄です。
実際、その頃の映画は、語りが完全にメインで、映像はその次でした。
映画がクライマックスにさしかかると、弁士は語りをたっぷりと聞かせるため、写真のスピードを落とさせました。
当時、無声映画は1秒間16コマの速度が普通でしたが、1秒8コマで撮影される作品が出てきたのも、弁士のそういった都合からだったといいます。
しかしながら、映画はやがてサイレントからトーキーの時代へと変わっていきます。
昭和6年に公開されたアメリカ映画「モロッコ」は、トーキーに日本語の字幕がついていました。
そして同年8月には、ついに日本初の本格トーキー映画「マダムと女房」が松竹で制作され、大ヒットを記録します。
こうなると、弁士の出る幕はありません。
日本の全国各地で巻き起こった「弁士首切り反対」の声もむなしく、映画産業はサイレント時代に終わりを告げました。

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