- category *
- Title list *
- RSS *
- Admin
「御曹司」とは、もともと誰のこと? - 源義経
答えは、源義経(みなもとのよしつね)です。

写真は、こちらからお借りしました。
源義経ってどんな人?
源義経は、河内源氏(かわちげんじ)の源義朝(みなみとのよりとも)の九男として生まれ、幼年時代は牛若丸(うしわかまる)と呼ばれました。
兄・頼朝(よりとも)が平氏打倒の兵を挙げた際(治承・寿永の乱)には、これに馳(は)せ参じ、一ノ谷(いちのたに)、屋島(やしま)、壇ノ浦(だんのうら)の合戦を経(へ)て平氏を滅ぼし、最大の功労者となりました。
御曹司の初出は?
御曹司の初出は、九条兼実(くじょう かねざね)の日記『玉葉(ぎょくよう)』で、以下のように書かれています。
寿永二年(1183)十一月二日。 ―『玉葉』―
「傳え聞く、頼朝、去る五日、鎌倉城を出て、已に京上の旅館に宿し三ケ夜に及ぶ。而して頼盛卿行き向いて議定す。粮料蒭(マグサ)等叶ふべからずに依って、忽ち上洛停止し、本城に帰入して了んぬ。其の替わりとして九郎御曹司(誰人哉尋ね聞くべし)出立し、已に上洛せしむと云々。」
治承七年(1183)、義仲追討のため、頼朝自ら上洛(じょうらく)しようと鎌倉を出発し遠江国(とおとうみのくに)まで来たものの、奥州秀平が数万の兵を率いて白川関を出たという噂を聞いて上洛を中止、代わりに九郎義経を上洛させることにしたときのことです。
京の公卿(くげ)たちは頼朝の名代として九郎御曹司が上洛すると聞いて、「九郎御曹司とは誰なのか尋ね聞くべし」といったことが『玉葉』寿永二年(1183)十一月二日に記録されています。
御曹司は、本来「源氏嫡流のへやずみの子の敬称」「堂上家のへやずみの子の敬称」を指す言葉なのですが、上の日記にあるように、源義経が九郎御曹司として初めて京の人々にその名を知られて以来、義経の別称として使われるようになったのです。
つまり、源義経といえば「御曹司」、「御曹司」といえば源義経になったわけですね。
御曹司は、現在では金持ちの息子をさす言葉
現代では、御曹司といえば、裕福(ゆうふく)な家に生まれ、ゆくゆくはその財産の多くを相続することが期待される息子を広く指す言葉となっています。
「ヘイ!タクシー! 若旦那をハワイまで乗せてってくれニャン」

写真はこちらからお借りしました。
また、良い意味で「お坊ちゃん」、悪い意味では「どら息子」または「(親の七光の)馬鹿息子」のニュアンスが含まれています。
- 関連記事
-
カテゴリ:[語源・由来]