Super源さんの雑学事典

一休さんは自堕落な大人になってしまった? - ”とんち小僧”のその後

一休さん イラスト

とんち小僧で知られる「一休さん」は、その後どうなったかご存じですか?
実は、自堕落(じだらく)な大人になってしまいました。

「一休さん」の幼少期


とんち小僧で知られる「一休さん」こと一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、1394年(明徳5年)に生まれた、臨済宗(りんざいしゅう)の京都出身の、実在する僧(そう)です。
この一休さんは、後小松天皇(ごこまつてんのう)の子とされ、5歳のときに京都・安国寺(応仁の乱で焼失、現在の京都市中京区・壬生寺の近く)の寺童(じどう、=お寺の高僧のそば近くに仕える童)となりました。
小さいときから利発(りはつ)で、頭のよく回るとんちの名人だといわれていました。

「一休さん」の修行時代


京田辺市酬恩庵にある一休禅師像
秋の京田辺市酬恩庵 一休禅師像ともみじ

一休さんは、大人になってからは、近江堅田(現在の滋賀県・堅田)の「祥瑞寺(しょうずいじ)」で、臨済宗大徳寺(りんざいしゅうだいとくじ)派の禅を受け継ぐ華叟宗曇(けそんそうどん)の弟子となって修行に励み、師から「一休」という道号(どうごう、=僧侶の号)を受けたといわれています。

大徳寺の再興に尽くした一休さん


一休さんは、80歳のときに、応仁の乱(おうにんのらん)で焼失(しょうしつ)した大徳寺(だいとくじ)の再興(さいこう)に、住職(じゅうしょく)として尽力(じんりょく)しました。

86歳のときに、禅寺の中心的建物である「法堂(はっとう、=禅寺で住職が修行僧に教えを説いて指導に当たる建物)が完成。
2年後の88歳のときに、京都の酬恩庵(しゅうおんあん)で、マラリアで亡くなりました。

仏教の戒律を破り、自由奔放に生きた一休さん


しかしながら、一休さんはその一方で、自由奔放(じゆうほんぽう)な生き方を貫いた、反骨精神(はんこつせいしん)のあるお坊さんとしても有名でした。
たとえば、禅僧(ぜんそう)でありながら酒を飲み、肉を食べたばかりでなく、なんと、盲目(もうもく)の美女と付き合い、同棲(どうせい)するなど、およそ仏教の経典(きょうてん)で禁止されていることを平然とやってしまう”破戒僧(はかいそう)”でもありました。

しかし、良くも悪くも自由に生きたその姿は、人々から喝采(かっさい)されました。
江戸時代には、『一休咄(いっきゅうばなし)』というとんち話も刊行(かんこう)され、後世に伝えられることになったのです。

おわりに


おわりに

今日は、一休さんは自堕落(じだらく)な大人になってしまったという話を書いてみましたが、いかがでしたか?
美女と同棲というところは、禁欲主義者・ガンジーの晩年を彷彿(ほうふつ)とさせますが、皆さんはどうお感じになりましたか?

確かに、仏教の戒律(かいりつ)は厳しいですよね。
だからといって、破ってもいいということにはなりませんが、【><】そのこともあって後世に名を残すことができたわけなので、まぁ結果オーライなのかも知れません。

「ボクは、木の根元で”一休”とシャレ込むニャン」
木の根元で”一休”中の猫

(゚o゚)おおっ!
なかなかユーモアセンスのある猫ちゃんのようです。(^ ^)
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