- category *
- Title list *
- RSS *
- Admin
甲子園球場「アルプススタンド」の名づけ親は、岡村太郎の父・岡本一平だった!?

甲子園球場には、「アルプススタンド」と呼ばれる観客席があります。
これは、内野スタンドと外野スタンドの間に位置する席で、増え続ける観客を収容するために、1929年(昭和4年)に増設(ぞうせつ)された席です。
この席の名付け親は、一体誰なのでしょうか?
アルプススタンドの名付け親は誰?
応援する人たちの白いシャツで埋め尽くされた光景からアルプスの雪山を連想し、この席を「アルプススタンド」と名付けたのは、「太陽の塔」などの作品で知られる岡村太郎の父で漫画家の岡本一平(おかもと いっぺい)です。
当時朝日新聞の記者として取材していた岡本一平は、超満員の白いシャツで埋め尽くされた甲子園球場を見て、この光景を、
「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」
と表現し、8月14日の朝日新聞に掲載(けいさい)しました。
これ以来、内野席と外野席の間の大観客席は、「アルプススタンド」と呼ばれるようになったのです。

写真はこちらからお借りしました。
「アルプススタンド」と表現したのは藤木九三? それとも岡本太郎?
なお、岡本一平が「アルプススタンド」と表現したルーツには2つの説があります。
ひとつ目は、当時の大阪朝日新聞編集局で、登山家でもあった藤木九三(ふじき くぞう)が形容した言葉を岡本一平が伝え聞いたというもの。
ふたつ目は、父と一緒に観戦していた息子の太郎が「アルプスみたい」と呟(つぶや)いたのが始まりというものです。
おわりに
「芸術は爆発だー! オレの頭も爆発だー!」 シューッ! ドドドドーン!

今日は、甲子園球場「アルプススタンド」の名付け親は誰かという話を書いてみましたが、いかがでしたか?
ちなみに、このアルプススタンドの完成から7年後の1936年(昭和11年)に、外野席も拡張工事が行なわれ、朝日新聞が今度は「ヒマラヤスタンド」と名付けました。
が、こちらはまったく定着せず、今でも「外野席」のままです。

- 関連記事
-
Re:こんにちは! * by Super源さん
むくさん、こんばんは。
ご訪問、及びコメントありがとうございます。
いつもこのブログで楽しんでいただけてるようで、うれしいです。
おお!(゚o゚) むくさんは岩手の方ですか。
一関学院、確か20年ぶりの初戦突破でしたね。
おめでとうございます!(^O^)/
そうですね。横浜も是非頑張って欲しいです。

ご訪問、及びコメントありがとうございます。
いつもこのブログで楽しんでいただけてるようで、うれしいです。
おお!(゚o゚) むくさんは岩手の方ですか。
一関学院、確か20年ぶりの初戦突破でしたね。
おめでとうございます!(^O^)/
そうですね。横浜も是非頑張って欲しいです。

カテゴリ:[語源・由来]
一関学院が勝ってよかったです♪
横浜は9日ですね。