- category *
- Title list *
- RSS *
- Admin
千葉県「新京成線」の線路が、やけにクネクネと曲がっているのは何故?

千葉県松戸市の松戸(まつど)駅と京成津田沼(けいせいつだぬま)駅を結ぶ「新京成線(しんけいせいせん)」は、山も谷もない平坦(へいたん)な地形を走行する列車であるにもかかわらず、不自然なカーブが続く路線です。
26.5キロの路線に24の駅があり、蛇行(だこう)を繰り返しています。
両端(りょうたん)の駅を直線距離で結ぶと、15.8キロ。
つまり、11キロ近くも余計に走っている計算になります。
路線距離は、短ければ短いほど建設費用が少なくてすみ、列車の走行スピードも上げられるはずです。
にもかかわらず、このようなクネクネと蛇行した路線となっているのは何故なのでしょうか?
新京成線はもともと、旧日本陸軍の演習用路線だった
新京成電鉄8800形

実はこの路線は、もともとは旧日本陸軍の演習用(えんしゅうよう)に作られた軍事鉄道(ぐんじてつどう)だったのです。
運転の練習のためには、カーブが多い方が好都合だったというわけです。
また、敵機の空襲(くうしゅう)を避けるためという理由もあったようです。
明治の初めに、ドイツを手本にした鉄道隊が、日本で発足(ほっそく)しました。
そして、その鉄道隊が敷設(ふせつ)したのが、現在の新京成線でした。
京成電鉄の子会社である新京成電鉄が、この元演習路線の使用認可を受け、営業を開始したのは1946年(昭和21年)のことでした。
オリジナルの路線は、さらにクネクネしていた
「どれどれ。この路線が本当にそんなにクネクネしているのか、ボクが検証してみるニャン」

写真はこちらからお借りしました。
なお、現在の新京成線の路線には、軍事鉄道だったときよりもカーブが緩(ゆる)やかになっている部分もあります。
オリジナルの路線は、さらにクネクネしたものだったようです。
おわりに
今日は、千葉県「新京成線」の線路が、クネクネと曲がっているのは何故かという話を書いてみましたが、いかがでしたか?
ちなみに、線路のカーブの部分は、一体どうやって曲げているのでしょうか?
答えは、以下の記事をお読みください。
電車のレールのカーブの部分は、どうやって曲げているのでしょうか?電車のレールのカーブの部分は、どうやって曲げている?鉄道会社が購入するレールは、基本的に長さが25mの「定尺(ていしゃく)レール」と呼ばれるまっすぐなものだけです。それを現場で曲げています。レールの曲げ方は、曲線部の半径が400mを超えるかどうかで変わります。400mよりも大きい緩やかなカーブの場合は、バール(鉄棒)を使い、レール締結装置につけ...

- 関連記事
-
Re:無題 * by Super源さん
吟遊紳士さん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
おおっ!
そうでしたか。
長年その土地に住んでいても、知らないこと[歴史]ってけっこうありますよね。
私も、たくさんあります。

コメント、ありがとうございます。
おおっ!

長年その土地に住んでいても、知らないこと[歴史]ってけっこうありますよね。
私も、たくさんあります。

新京成電鉄に蛇行が多い一番の理由 * by Shutaro
この理由は我々地元民は大人から「戦争時に攻撃を避けるため」「軍事演習用」等の理由を教わってきましたが、高校の地学の授業の際に全くのウソであったことを学びました。
大正から昭和初期の松戸市の地図をわたされて、水田のマークのある部分を水色で塗りつぶしていくと、南北から両手を広げて上と下から重ねたように水田があったことがわかりました。
その合間を縫っていくと自然と新京成の路線をたどっていくことになります。
それがわかるように上本郷、松戸新田、八柱、常盤平の駅の東西or南北どちらかは下り坂になっています。戦争はその後ですから、その地形と路線を利用した可能性はありますが、蛇行の理由は地形の問題が第一ということになります。しかし今だにご年配の方もそれを聞いた子供も爆弾が・・・、戦争が・・・カーブの耐久性が・・・という話が多く、当時の地形の話をされる方は1%もいないと思います。
大正から昭和初期の松戸市の地図をわたされて、水田のマークのある部分を水色で塗りつぶしていくと、南北から両手を広げて上と下から重ねたように水田があったことがわかりました。
その合間を縫っていくと自然と新京成の路線をたどっていくことになります。
それがわかるように上本郷、松戸新田、八柱、常盤平の駅の東西or南北どちらかは下り坂になっています。戦争はその後ですから、その地形と路線を利用した可能性はありますが、蛇行の理由は地形の問題が第一ということになります。しかし今だにご年配の方もそれを聞いた子供も爆弾が・・・、戦争が・・・カーブの耐久性が・・・という話が多く、当時の地形の話をされる方は1%もいないと思います。
Re:新京成電鉄に蛇行が多い一番の理由 * by Super源さん
Shutaroさん、こんにちは。
情報、ありがとうございます。
読ませていただき、Shutaroさんのおっしゃることが正しいという直感があったので、この件、再度調べてみました。
すると、以下の記述が見つかりました。
>新京成線(しんけいせいせん)は、千葉県松戸市の松戸駅と千葉県習志野市の京成津田沼駅を結ぶ新京成電鉄が経営する鉄道路線である。
>(中略)
>台地の分水嶺に沿ったルート(つまり小金牧の区域内)をとっており、トンネルや水域を渡る橋が1つも存在しない。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/新京成電鉄新京成線
特に、最後の行が重要です。なるほど、逆に言って、橋をかけずに線路をひいたら、少なくともまっすぐにはなりませんね。
そこで、次に小金牧について調べてみました。
>小金牧(こがねまき)は、江戸幕府が現在の千葉県北西部の下総台地に軍馬育成のため設置した放牧場である。
>江戸時代以前からの「牧」を継続する形で慶長年間に設置され、1869(明治2)年まで存続した。
>享保年間以降は5つの牧による構成となり、小金五牧の通称もあった。
>(中略)
>1726(享保11)年11月「綿貫夏右衛門預かれる牧馬の地」での防堤(野馬土手)の構築と維持、馬が死んだ場合等の村から牧士への届出について令した記録があり、牧についても改革が進められた事を示す。水田のない畑作新田も含め新田開発も行われ、牧に新田が近接する結果となり、新たに野馬土手が築かれた。牧内でも開発が行われ、新田と入り組んだ所も多い。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/小金牧
>小金牧には、野馬とともに鹿や猪、野犬が生息しており、鹿や猪が田畑を荒らすので、村人は非常に困窮していた。
出典:https://www.matsudo417.com/matsuyomi/?p=1986
牧場と聞くと、馬しかいない場所を想像しますが、その中では人間も生活しており、田畑や水田、新田などもあったのですね。
さてここで、以下の図(地図)をご覧下さい。
小金牧(こがねまき)の全体図
https://blog-imgs-142.fc2.com/s/u/p/supergensan/koganemaki-map.jpg
(マウスclickで拡大できます)
小金牧が、江戸時代に、沼、川、水田などを避けた形で作られ、その後、新京成線の線路がその領域内にある田畑や水田等を避ける形で敷かれたことが一目瞭然です(八柱駅~薬園台駅間が、この小金牧の中にすっぽり収まっています)。
つまり、新京成線の路線がグニャグニャなのは、戦争や軍隊などは関係なく、「地形」がその一番の理由だったことが分かります。
近年巷で言われている、戦争が~、軍隊が~、爆弾が~というのは、いわば「後づけの理由」だったのですね。
ということで、長くなりましたが、Shutaroさんのおっしゃった、「地形の問題が第一」の正しさが証明された形です。(^^)
情報、ありがとうございます。
読ませていただき、Shutaroさんのおっしゃることが正しいという直感があったので、この件、再度調べてみました。
すると、以下の記述が見つかりました。
>新京成線(しんけいせいせん)は、千葉県松戸市の松戸駅と千葉県習志野市の京成津田沼駅を結ぶ新京成電鉄が経営する鉄道路線である。
>(中略)
>台地の分水嶺に沿ったルート(つまり小金牧の区域内)をとっており、トンネルや水域を渡る橋が1つも存在しない。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/新京成電鉄新京成線
特に、最後の行が重要です。なるほど、逆に言って、橋をかけずに線路をひいたら、少なくともまっすぐにはなりませんね。
そこで、次に小金牧について調べてみました。
>小金牧(こがねまき)は、江戸幕府が現在の千葉県北西部の下総台地に軍馬育成のため設置した放牧場である。
>江戸時代以前からの「牧」を継続する形で慶長年間に設置され、1869(明治2)年まで存続した。
>享保年間以降は5つの牧による構成となり、小金五牧の通称もあった。
>(中略)
>1726(享保11)年11月「綿貫夏右衛門預かれる牧馬の地」での防堤(野馬土手)の構築と維持、馬が死んだ場合等の村から牧士への届出について令した記録があり、牧についても改革が進められた事を示す。水田のない畑作新田も含め新田開発も行われ、牧に新田が近接する結果となり、新たに野馬土手が築かれた。牧内でも開発が行われ、新田と入り組んだ所も多い。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/小金牧
>小金牧には、野馬とともに鹿や猪、野犬が生息しており、鹿や猪が田畑を荒らすので、村人は非常に困窮していた。
出典:https://www.matsudo417.com/matsuyomi/?p=1986
牧場と聞くと、馬しかいない場所を想像しますが、その中では人間も生活しており、田畑や水田、新田などもあったのですね。
さてここで、以下の図(地図)をご覧下さい。
小金牧(こがねまき)の全体図
https://blog-imgs-142.fc2.com/s/u/p/supergensan/koganemaki-map.jpg
(マウスclickで拡大できます)
小金牧が、江戸時代に、沼、川、水田などを避けた形で作られ、その後、新京成線の線路がその領域内にある田畑や水田等を避ける形で敷かれたことが一目瞭然です(八柱駅~薬園台駅間が、この小金牧の中にすっぽり収まっています)。
つまり、新京成線の路線がグニャグニャなのは、戦争や軍隊などは関係なく、「地形」がその一番の理由だったことが分かります。
近年巷で言われている、戦争が~、軍隊が~、爆弾が~というのは、いわば「後づけの理由」だったのですね。
ということで、長くなりましたが、Shutaroさんのおっしゃった、「地形の問題が第一」の正しさが証明された形です。(^^)
カテゴリ:[雑学]
無題
私、じつはこの路線に住んでいます。普通に京成を利用していて今まで知りませんでした(`・ω・´)
ためになるお話、ありがとうございます<m(__)m>
2020-03-24 * 吟遊紳士
[ 編集 ]
Re:無題
吟遊紳士さん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
おおっ!

長年その土地に住んでいても、知らないこと[歴史]ってけっこうありますよね。
私も、たくさんあります。

2020-03-26 * Super源さん
[ 編集 ]
新京成電鉄に蛇行が多い一番の理由
この理由は我々地元民は大人から「戦争時に攻撃を避けるため」「軍事演習用」等の理由を教わってきましたが、高校の地学の授業の際に全くのウソであったことを学びました。大正から昭和初期の松戸市の地図をわたされて、水田のマークのある部分を水色で塗りつぶしていくと、南北から両手を広げて上と下から重ねたように水田があったことがわかりました。
その合間を縫っていくと自然と新京成の路線をたどっていくことになります。
それがわかるように上本郷、松戸新田、八柱、常盤平の駅の東西or南北どちらかは下り坂になっています。戦争はその後ですから、その地形と路線を利用した可能性はありますが、蛇行の理由は地形の問題が第一ということになります。しかし今だにご年配の方もそれを聞いた子供も爆弾が・・・、戦争が・・・カーブの耐久性が・・・という話が多く、当時の地形の話をされる方は1%もいないと思います。
2020-07-09 * Shutaro
[ 編集 ]
Re:新京成電鉄に蛇行が多い一番の理由
Shutaroさん、こんにちは。情報、ありがとうございます。
読ませていただき、Shutaroさんのおっしゃることが正しいという直感があったので、この件、再度調べてみました。
すると、以下の記述が見つかりました。
>新京成線(しんけいせいせん)は、千葉県松戸市の松戸駅と千葉県習志野市の京成津田沼駅を結ぶ新京成電鉄が経営する鉄道路線である。
>(中略)
>台地の分水嶺に沿ったルート(つまり小金牧の区域内)をとっており、トンネルや水域を渡る橋が1つも存在しない。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/新京成電鉄新京成線
特に、最後の行が重要です。なるほど、逆に言って、橋をかけずに線路をひいたら、少なくともまっすぐにはなりませんね。
そこで、次に小金牧について調べてみました。
>小金牧(こがねまき)は、江戸幕府が現在の千葉県北西部の下総台地に軍馬育成のため設置した放牧場である。
>江戸時代以前からの「牧」を継続する形で慶長年間に設置され、1869(明治2)年まで存続した。
>享保年間以降は5つの牧による構成となり、小金五牧の通称もあった。
>(中略)
>1726(享保11)年11月「綿貫夏右衛門預かれる牧馬の地」での防堤(野馬土手)の構築と維持、馬が死んだ場合等の村から牧士への届出について令した記録があり、牧についても改革が進められた事を示す。水田のない畑作新田も含め新田開発も行われ、牧に新田が近接する結果となり、新たに野馬土手が築かれた。牧内でも開発が行われ、新田と入り組んだ所も多い。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/小金牧
>小金牧には、野馬とともに鹿や猪、野犬が生息しており、鹿や猪が田畑を荒らすので、村人は非常に困窮していた。
出典:https://www.matsudo417.com/matsuyomi/?p=1986
牧場と聞くと、馬しかいない場所を想像しますが、その中では人間も生活しており、田畑や水田、新田などもあったのですね。
さてここで、以下の図(地図)をご覧下さい。
小金牧(こがねまき)の全体図
https://blog-imgs-142.fc2.com/s/u/p/supergensan/koganemaki-map.jpg
(マウスclickで拡大できます)
小金牧が、江戸時代に、沼、川、水田などを避けた形で作られ、その後、新京成線の線路がその領域内にある田畑や水田等を避ける形で敷かれたことが一目瞭然です(八柱駅~薬園台駅間が、この小金牧の中にすっぽり収まっています)。
つまり、新京成線の路線がグニャグニャなのは、戦争や軍隊などは関係なく、「地形」がその一番の理由だったことが分かります。
近年巷で言われている、戦争が~、軍隊が~、爆弾が~というのは、いわば「後づけの理由」だったのですね。
ということで、長くなりましたが、Shutaroさんのおっしゃった、「地形の問題が第一」の正しさが証明された形です。(^^)
2020-07-15 * Super源さん
[ 編集 ]
普通に京成を利用していて今まで知りませんでした(`・ω・´)
ためになるお話、ありがとうございます<m(__)m>