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「清水の舞台」から最初に飛び降りた人は誰? - 鎌倉時代の検非違使・忠明

京都 清水寺
京都 清水寺 清水の舞台

死んだつもりになって思い切ったことをする、あるいは、とても重要な決断をすることを「清水(きよみず)の舞台から飛び降りる」といいます。
清水というのは、京都の清水寺のことです。
が、この言葉は、単なる”物のたとえ”ではなく、実際にここから飛び降りた人が沢山いるようです。

それでは、この「清水の舞台」から最初に飛び降りた人は誰なのでしょうか?

「清水の舞台」から最初に飛び降りたのは誰?


最初に飛び降りた人の記録があるのは、鎌倉時代の説話(せつわ)集である「宇治拾遺物語(うじ しゅうい ものがたり)」です。
この本によれば、忠明(ただあきら)という検非違使(けびいし)が、清水の橋の袂(たもと)で、複数の若者と喧嘩(けんか)をし、清水の本堂まで逃げ、清水の舞台から飛び降りて難を逃れたといいます。

検非違使(けびいし)というのは、今でいう警察官のようなものです。

その後、江戸時代になり、観音菩薩(かんのんぼさつ)に命を預けて清水の舞台から飛び降り、助かれば願いが叶(かな)い、死んでも成仏できるといわれるようになると、未遂(みすい)も合わせて234人もの人がここから飛び降りたという記録が残っています。

しかしながら、1872年(明治5年)に飛び降り禁止令が出されてからは、その数は激減(げきげん)したといいます。


「清水の舞台」から飛び降りて命を落とした人の割合は?


清水の舞台2

なお、この舞台から飛び降りて命を落とした人の割合は、全体の15%ほどだったといわれます。
清水の舞台の高さは、地上から約12メートルです。
ビルだと、4楷の高さに相当します。

それにもかかわらず生存率が高いのは、昔は木がたくさん生えており、下の地面も柔らかかったためではないかと推察(すいさつ)されています。

「なあ、清水の舞台って、時代劇でメッチャ有名な親分のことだよな」「それは、『清水の次郎長』」
猿の会話 清水の舞台の意味
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