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なんと、自分の芸名をオークションにかけた日本の女優がいる!
が、なんと、かつて自分の芸名をオークションにかけた日本の女優がいます。
1977年に、悠木千帆(現:樹木希林)がオークションで自分の芸名を出品
1977年(昭和52年)のこと、日本教育テレビが全国朝日放送株式会社、通称テレビ朝日に社名変更した際に放送された特別番組「わが家の友だち10チャンネル徹子のナマナマ10時間半」で、さまざまな著名人が参加するオークションが行なわれました。
そのオークションで、なんと、自分の芸名を出品した芸能人がいます。
それは、「悠木千帆(ゆうき ちほ)」を出品した、当時34歳だった女優の樹木樹林(きき きりん)です。
「林檎殺人事件」歌唱時の郷ひろみ&樹木希林

写真は、こちらからお借りしました。
落札者は、青山でブティックを経営する37歳の女性
放送局には、多くの入札電話が入りましたが、落札したのは青山でブティックを経営する37歳の女性で、落札価格は2万200円。
ただこの女性、落札したものの、
「使い道、どうしたらいいかしらねえ」
と、その使い道には困っていたようです。
芸名を売ってしまった悠木千帆は、オークション終了後にサインをせがまれた際、
「私、名前がないから」
と頭をかかえるハプニングもありました。
また、この2万200円という落札価格については、
「私の父が勇気を持って芸能界を進むようにとつけてくれた芸名。もう15年も使って好きな名前だしね。2万200円か。そんなものかもしれないね」
としんみり。
「男はつらいよ」で渥美清と共演する 駆け出しの頃の 樹木希林(悠木千帆)

写真は、こちらからお借りしました。
新芸名「樹木希林」誕生までのいきさつ
悠木千帆は、当初、新芸名として本名の「内田啓子(うちだ けいこ)」を使うことも考えていましたが、別居中の夫の内田裕也(うちだ ゆうや)等の反対にあって断念。
結局、「樹や木が集まって、希な林を作る、みんなが集まって何かを生み育てる」ということから「樹木希林」という新しい芸名を考え、テレビでは、同年5月にスタートした「ムー」(TBS系)から使い始めたのでした。
しかし、どんな理由にせよ、自分の名前を売ってしまうというのはスゴいですよね。

父親からもらった大切な名前であれば、なおさらです。
参考にしたサイト
旧芸名「悠木千帆」をオークションで売った樹木希林 | 日刊ゲンダイ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/148656/3

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