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中国、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)の最後の晩餐が「チキンラーメン」だったって本当?

写真は、こちらからお借りしました。
お湯を入れて蓋をしたら、3分待つだけでおいしいラーメンが食べられる「チキンラーメン」。
このチキンラーメンは、1958年(昭和33年)に日清食品の創業者である安藤百服(あんどう ももふく)が開発した、世界初のインスタント麺です。
このチキンラーメンを、死の間際に食べたいと願った皇帝がいました。
中国、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)です。
チキンラーメン開発のきっかけは?
そもそも、チキンラーメンはどのようなきっかけで生まれたものなのでしょうか?
それは、終戦直後の或る日のことでした。
安藤百福は、大阪・梅田の闇市(やみいち)で、ラーメン屋台に並ぶ行列を見て、
「もっと手軽にラーメンを」
と思いました。
そしてこれが、チキンラーメン開発のきっかけでした。
安藤百福

出典:http://www.atpress.ne.jp/releases/14551/3_1.jpg
そしてこのチキンラ-メンは、商業的に大成功を収め、2008年(平成20年)には50周年を迎え、今や世界中で愛されるインスタント食品となりました。
なお、当時安藤百福は、専用の作業小屋を建て、朝から晩までその小屋に籠(こも)りきりで、全身全霊(ぜんしんぜんれい)をかけてインスタントラーメンの開発に取り組みました。
このとき安藤は、たった一人で材料から器具までを調達(ちょうたつ)し、1日の平均睡眠時間が4時間、365日無休体制で1年がかりでチキンラーメンを開発したといいます。
このときの小屋が、現在大阪池田市にある「安藤百福発明記念館 大阪池田」に復元・展示されています。
チキンラーメンを、死の間際に食べたいと願った皇帝がいた
さて、このチキンラーメンを、死の間際に食べたいと願った皇帝がいます。
中国、清朝最後の皇帝であり、その生涯を題材にした映画から「ラストエンペラー」として知られる愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ、アイシンギョロ・プーイー、1906年 - 1967年)です。
愛新覚羅溥儀

愛新覚羅溥儀は、日本と交流が深い親日家で、1923年に起きた関東大震災のときには、城内にある膨大(ぼうだい)な宝石を義捐金(ぎえんきん)として贈ると表明したことでも知られています。
溥儀は、中華人民共和国に文化大革命の嵐が吹き荒れる中で、腎臓がんを患(わずら)いました。
そして、死の間際に所望(しょもう)したのが、晩年の好物であったチキンラーメンだったのです。
このことは、弟溥傑(ふけつ)の夫人である嵯峨浩(さが ひろ)の著書・「流転の王妃の昭和史(るてんのおおひのしょうわし)」に記(しる)されています。
おわりに
いかがでしたか?
皇帝といえば、雲の上の存在。
そして、幼い頃から最高級の宮廷料理を食べていたであろうその皇帝の、最後に食べたかったものがチキンラーメンだったなんて、何か拍子抜けしてしまいますね。
「チキンラーメンもうまいニャンが、やっぱり、刺身が最高だニャー」

写真は、こちらからお借りしました。
なお、「カップヌードル」は、この「チキンラーメン」の海外進出をはかって開発されたものです。
が、この商品の成否(せいひ)の鍵をにぎっていたのは、麺よりもむしろ容器の方にありました。
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愛新覚羅溥儀 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%96%B0%E8%A6%9A%E7%BE%85%E6%BA%A5%E5%84%80
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カテゴリ:[雑学]