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プロ野球で、優勝した際の「ビールかけ」を最初にしたのは誰? - カールトン半田選手

写真は、こちらからお借りしました。
プロ野球で、チームの優勝が決定した際に、お約束のように行なわれる「ビールかけ」。
このビールかけを最初にしたのは、一体誰なのでしょうか?
日本の「ビールかけ」は、いつ、誰が、どこで最初に始めた?
日本のビールかけの始まりは、1959年(昭和34年)の南海(福岡ソフトバンクスの前身)がパ・リーグで優勝した当時に遡(さかのぼ)ります。
その日、優勝決定後の監督や選手が集まる祝賀会(しゅくがかい)で、どんちゃん騒ぎが繰り広げられていました。
そんな中、ハワイ生まれの日系二世カールトン半田(日本名:半田春夫)選手が、突然ほかの選手にビールをかけました。
アメリカのマイナーリーグでのプレー経験のある半田選手は、そこでのシャンパンファイトの風習を真似て、
「アメリカでは、優勝したらこうするんだぜ!」
と、突然、杉浦忠投手の頭にビールをかけたのです。
まわりの選手たちは、一瞬、「何をするのか」とあっけにとられましたが、やられた方の杉浦がすかさず反撃して半田にビールをかけるのを見て、「面白そうだ」と、次々に真似をし始めました。
そのときのものと思われる写真

これが、日本での「ビールかけ」の起源です。
ビールかけをしている選手たちを見ていると、本当に楽しそうです。
が、環境や商品を粗末(そまつ)にしており、もったいないという意見もあります。
一回のビールかけで使われるビールの本数は、約3000本。
金額にすれば、約157万円。
これだけのお金を一晩で使い、おまけに1899リットルという大量の汚水が発生するわけですから、環境汚染を危惧(きぐ)する人たちもいるのではないでしょうか?
実際、1999年のダイエー優勝の際に、商品のムダ使いという世間の批判を浴びて、自粛(じしゅく)されるということがありました。
アメリカの「シャンパンファイト」の始まりは?
ちなみに、アメリカのシャンパンファイトの始まりに関しては、1950年(昭和25年)にメジャーリーグのセントルイス・ブラウンズ(現:ボルチモア・オリオールズ)が、シーズン100敗の阻止(そし)を祝って始めたのが起源とされます。
当時、弱小チームだったブラウンズは、毎年のように黒星(くろぼし)を積み重ね、51年はなんとか100敗を逃れました。そこで、これを祝して、オーナーが選手らにシャンパンを送り、そのシャンパンで祝杯を挙げたのが始まりとされます。
いやはや、優勝ではなく、100敗阻止を祝って始めたというのは、スゴい理由ですね。【><】
他の説としては、さらに古く、シャンパンが勢い良く吹き上がる様子を気に入ったナポレオン・ボナパルトが、戦勝記念にシャンパンかけを行なったのが始まりというものもあります。
つまり、戦いに勝った後に、シャンパンをかけて祝ったわけですね。
いずれにしても、1959年に日本でシャンパンファイトを参考としたビールかけが行なわれていることを考えれば、遅くとも1950年代には、欧米において同様の行為が広く行なわれるようになっていたものと考えられます。
メジャーリーグは「シャンパンファイト」のルールを一部改定
メジャーリーグは、2015年に「シャンパンファイト」のルールを一部改訂し、祝勝会に用いられるシャンパンはノンアルコールに限り、1選手につきシャンパンは2本までとされました。
そのシャンパンも、選手同士で掛け合うだけで、飲むことは禁じられています。
そのうえ、アルコール類で持ち込みが可能なのはビールのみで、メジャーリーグのスポンサーとなっているメーカーのものに限られます。
日本の球界でも近年、未成年の選手を配慮して、ノンアルコールを用いるチームも見られます。
が、やはり日本一となった暁には、ビールかけで祝いたいという選手も多いようです。
【ハートにビールを】

参考にしたサイト
ビールかけ ? Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%8B%E3%81%91
プロ野球の優勝でビールかけを最初にしたのは誰?もったいないっ!? | 新時代レポ
https://report-newage.com/2167
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カテゴリ:[雑学]