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オリンピックを初めて「五輪」と呼んだのは誰? - 読売新聞記者の川本信正

オリンピック 五輪

オリンピックを初めて「五輪」と呼んだのは、一体誰なのでしょうか?

オリンピックを初めて「五輪」と呼んだのは、読売新聞記者の川本信正


オリンピック」が、最初に「五輪」と表記されたのは、1936年(昭和11年)のことです。
この表記を考えたのは、運動記者としてオリンピック報道に携(たずさ)わっていた、読売新聞記者の川本信正(かわもと のぶまさ、1907年~1996年)です。

新聞の見出しに掲載(けいさい)する際、「オリンピック」は6文字で、新聞の見出しには長いため、どうにか略せないかという相談を受けた川本氏は、「国際運動」「国際運競」などと考えるなか、5つの輪がシンボルマークだったことから「五輪大会」という言葉を思いついたといいます。

『以前から五大陸を示すオリンピックマークからイメージしていた言葉と、剣豪(けんごう)宮本武蔵の著「五輪書」を思い出し、とっさに「五輪」とメモして見せたら、早速翌日の新聞に使われた。(「朝日新聞」1996.06.18 p.23)』

実際、同年8月6日付の読売新聞には、「五輪の聖火に首都再建」という見出しが躍(おど)り、この「五輪」という言葉は、その後オリンピックという言葉と並んで、広く使われるようになっていきました。

参考にしたサイト
「五輪」の生みの親 | 飯間浩明のことばのページ
http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k980820.htm
雑学 豆知識
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