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原爆投下の当初の候補地は京都だった?-知られざるアメリカ軍の原爆会議


今年は2016年。終戦から71年が経ちました。
アメリカ軍による広島と長崎への原爆投下は、日本の敗戦を決定的なものとしましたが、実は、当初最有力だった原爆の候補地が京都だったということをご存知でしょうか?
原爆は、東京や名古屋、大阪、京都などの大都市に投下される可能性もありました。
が、京都を除く3都市は、大空襲によりすでに焼け跡。
しかし、それまで空襲を免れていた京都は違います。
京都は、原爆投下に格好の標的だったのです。
これは、原爆投下までが記録されている「マンハッタン計画」の中からも見ることができます。
そこには、
「京都は地形条件に加え住民のレベルが高いため、この兵器の意義を正しく認識する能力が高いという利点がある」
と、米軍の意見が記載されています。
結果的に、京都への原爆投下は行なわれませんでしたが、ギリギリまで原爆の候補地ではあったのです。
アメリカ軍のレズリー・グローヴス将軍は、
「私は特に目標としての京都に執着(しゅうちゃく)を覚えたのだが、それはわれわれが原爆諸効果の完全な知識を入手するために、京都はまたとない理想的な条件をもっていたからである」
と、京都に対して強い執着心をもっていたことを告白しています。
しかしながら、陸軍長官であるヘンリー・スティムソンが、
「京都には日本の重要な文化財や日本の精神があるため、もし原爆を投下すれば、われわれに友好的な感情をもたせることが不可能になるのではないか」
と、大統領に進言。
京都を候補地から外させたのです。

※広島、長崎、京都のほかに、小倉や新潟も原爆投下の候補地でした。

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カテゴリ:[雑学]