Super源さんの雑学事典

江戸時代から、「ゴミを収集する」制度があった?

ゴミ問題 ゴミ箱

今やゴミ問題は、現代社会の大きな悩みのひとつとなっています。
それでは、武士や町人が大勢住んでいた江戸時代には、ゴミ問題はなかったのでしょうか?
実は、驚くことに、江戸時代から、「ゴミを収集する」制度がありました。

なんと、江戸時代から、「ゴミを収集する」制度があった


江戸幕府が開かれて間もない慶安(けいあん)元年(1648年)には、なんと、早くもゴミの不法投棄に対する処罰や、町内会でのドブさらいを奨励(しょうれい)するお触れが出されていました。

そして、それから14年後の寛文(かんぶん)2年には、今でいうゴミの定期収集が始まっていたのです。

これは、日本橋通りより北は毎月二の日、南は三の日にゴミ取り船を差し向けて、各町内のゴミを収集するもので、元禄(げんろく)10年(1697年)には、清掃局の全身ともいえる芥改役(あくたあらためやく)という役目ができていたのです。

こうして、船で集められたゴミは、当初東京湾の永代湾などに捨てていたようです。
が、江戸の人口は増える一方。
増え続けるゴミ問題に頭を悩ませた幕府は、ついに享保(きょうほう、きょうほ)年間(1716~1735年)に、深川の越中島に塵芥(じんかい)捨て場を定めました。

幕府の出したごみに関する禁令
時代(西暦)当時の将軍内容
慶安元年(1648年)家光(3代目)ごみでの街路補修・下水溝へのごみ投棄禁止
慶安2年(1649年)家光ごみを会所地に捨てることを厳しく禁止
明歴元年(1655年家綱(4代目)永代浦をごみの投棄場に指定し、昼間ごみを投棄するように通達
寛文2年(1662年)家綱ごみ投棄船による収集・運搬を行い他へのごみの不法投棄を禁止
寛文2年(1662年)家綱ごみ処理の請負人を指定し、鑑札を発行
寛文3年(1663年)家綱ごみ収集料金を定める
元禄9年(1696年)綱吉(5代目)永代橋をごみ投棄場に指定
享保元年(1724年)吉宗(8代目)深川越中島をごみ埋立地に指定

ゴミ問題は、やはり今に始まったことではなかったのですね。

ちなみに、ゴミ問題といえば、この頃、フランスのパリはさらに大変なことになっていました。【><】
よろしければ、以下の記事もお読みになってみてください。

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参考にしたサイト
江戸時代のゴミ事情
http://www.asa.hokkyodai.ac.jp/research/staff/kado/ch16.pdf
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