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はじめての指定手配犯は、その制度を作った当の本人・江藤新平だった?

指名手配写真の制度を作ったのは、明治時代の司法卿・江藤新平(えとう しんぺい、1834年3月18日 - 1874年4月13日)です。
彼は、国家の近代化に尽力した人物で、指名手配制度もその一環でした。

江藤新平
江藤新平
写真は、こちらからお借りしました。

江藤新平ってどんな人?


江藤 新平(えとう しんぺい、1834年(天保5年) - 1874年(明治7年))は、幕末から明治時代の日本の武士(佐賀藩士)、政治家。幼名は恒太郎・又蔵。「維新の十傑」、「佐賀の七賢人」の1人に挙げられます。

江戸時代後期の外国船の日本近海への出没や、アメリカのペリー艦隊やロシアのプチャーチン艦隊などが来航して通商を求めるなどの時勢の影響を受け、1856年(安政3年)、22歳のときに開国の必要性を説いた『図海策』を執筆。
のちに政府に重用され、藩の洋式砲術、貿易関係の役職を務めます。

1871年(明治4年)には、制度取調専務として国家機構の整備に従事し、近代的な集権国家と四民平等を説きます。
国法会議や民法会議を主催し、箕作麟祥らとともに民法典編纂に取り組み、1872年(明治5年)には写真手配制度を確立します。

征韓論をめぐる対立がもとで指名手配


1873年(明治6年)、征韓論(せいかんろん)をめぐって、西郷隆盛や板垣退助らの対外強硬派と、大久保利通や岩倉具視らの内政優先派が対立します。
そして、これに破れた西郷隆盛らとともに、江藤新平も失脚します。

その後出身地の佐賀に戻った江藤は、反乱を起こしますが、新政府軍に鎮圧されて逃亡します。
この時に、指名手配写真が配られたのでした。

手配写真が出回っていたために、江藤新平は速やかに捕らえられたのですが、しかし、この写真手配制度を作った江藤自身が、この制度の被適用者第1号となるとは、なんとも皮肉な話だといわざるを得ません。

タマスケ氏、迷惑防止条例違反の容疑で逮捕
タマスケ氏、逮捕
写真はこちらからお借りしました。

あらあら。 最近は、猫も逮捕される時代になったようですね。(笑)
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