えっ? 3本指で食べるのが、ヨーロッパの上流階級の証だった?
フォークと ナイフ

日本人がどんどん海外に旅行するようになった昨今、以前ほどマナーの悪い人は少なくなってきたとはいえ、スープを音をたてて飲んだりする人はまだまだいるようです。

とはいえ、かの国とても、18世紀にフォークが普及するまでは、手づかみで食事をしていました。
そればかりか、貴族でさえ、鼻は手でかむのがよしとされていたほどなのです。

ヨーロッパでは、ローマ時代から11世紀ごろまで、貴族も平民も手づかみで食事をしていました。
11世紀の十字軍のころから、次第にエチケットに関心をもつようになり、教養のある人は薬指と小指を使わずに、他の3本の指でつまんで食べるようになりました。
が、普通の人は相変わらず5本指で食べていました。

1530年代の作法書には、

「指は必ず3本だけ使って食べること。間違っても5本全部使ってはならない。上流階級かそうでないかはここで見分けられる」

と書かれています。
3本指で食事をすることは、上流階級の証だったわけです。

でも、わざわざ3本指で食べるなんて、カッコつけるのも楽ではありませんね。
雑学 豆知識
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阿呆列車の食堂車を独占した内田百聞?
本を読む 文学少女

どの世界にも変わった人間はいるものですが、文学の世界にも一風変わった性癖の持ち主がいます。
夏目漱石門下の小説家、内田百聞(1889~1971)はその最たる1人でしょう。

例えば、借金をしに行くときにもわざわざ正装し、借りる金額以上の車代をかけて先方へ乗りつけたという有名な話があり、これひとつをとっても、いかに変人であったかがうかがえます。

また、内田百聞には、大変人を食ったところがあり、一緒に列車で旅をした写真家の林忠彦氏の証言によると、満員の食堂車の中でも委細かまわず泰然自若の体でビールを飲み、ボーイから、

「先生、お客様と交代していただけませんか?」

と催促されても馬耳東風、看板になってもまだ動こうとしなかったということです。

図々しいというのか、茶目っ気があるというのか、内田百聞は変人を絵に描いたような人だったようです。
奇人 怪人
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「生ハム」は、本当に生?
ハム 生ハム

ハムは、一般家庭の食卓によくのる肉の加工食品ですが、「生」がついて生ハムとなると、ちょっと高級なイメージがあり、そう簡単に口に入るものではありません。

ところで、この「生ハム」なのですが、本当に「生」なのでしょうか?
本当に生であれば、火が通っていないということになりますが、生ハムにも火は通っています。
生ハムが普通のハムと違う点は、くん煙温度なのです。

普通のハムのスモークやボイルの温度は63℃以上の高温で行なわれます。
が、生ハムの場合は、逆に低温で、じっくりと時間をかけて行なわれてスモークされ、乾燥されてつくられるのです。
このようにつくることで、タンパク質の凝固や変質を防ぐので、「生に近い味が出る」ということで「生ハム」と呼ばれているのです。

その加工時間は、一ヶ月もかかるものもあり、このように手間ひまがかかるため、値段も高くなるわけです。

ところで、もうひとつ勘違いしそうな名前のハムがあります。
それは「手づくりハム」です。
このハムは、実際に手でつくっているわけではなく、これもやっぱり機械でつくっています。
それでは何故手作りかというと、普通のハムよりも手間ひまかけてていねいにつくられるので「手づくり」といっているだけのことです。
雑学 豆知識
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コーヒーの飲み方の元祖は、トルコ・コーヒー?
トルココーヒー

近年、日本では世界各国のコーヒーが飲めるようになりましたが、トルコ・コーヒーというのには、あまりお目にかかることがありません。

これは、トルコを始め、ギリシャやエジプトで飲まれているコーヒーで、コーヒーの粉を漉(こ)さずに、ドロドロで苦い汁の上澄みをすするようにして飲むのです。

実は、ヨーロッパに伝わる前は、皆こうしてコーヒーを飲んでいました。

参考にしたサイト
トルココーヒーの淹れ方
http://www.beans510.com/drip-turky.htm
雑学 豆知識
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将軍実朝の二日酔いを治した栄西のお茶?
日本茶

栄西(えいさい、ようさい)といえば、臨済宗(りんざいしゅう)の開祖ですが、その栄西は、一方で「茶祖」といわれたほどお茶に精通した人物でした。

栄西は、禅宗の修行で中国に2度ほど渡りましたが、そのときにお茶の薬効に目をつけて日本に持ち帰り、筑前(ちくぜん)の背振山(せふりやま)に植えたのです。
これが後に日本全国に広がり、現在のお茶があるわけなのですが、栄西は承元5年(1211年)には『喫茶養生記(きっさようせいき)』というものを書き上げ、その中に、お茶は養生の仙薬であり、人間の寿命を延ばす効果があると書いています。

さて、この栄西が、将軍実朝(さねとも)の二日酔いをお茶で治したという話が、鎌倉時代の日常を記した『吾妻鏡(あずまかがみ)』の中に書かれています。

その内容とは、健保2年(1214年)2月4日のこと。前夜の深酒のために、朝から頭痛で気分を悪くしていた実朝に、御加持役(おかじやく)の栄西が一服のお茶を飲ませました。すると、実朝の頭痛はとれてすっかりよくなったというものです。
そのお茶は、小さじで2、3杯の抹茶に熱湯をそそいだものでした。

お茶には、解毒効果の高いタンニンや、利尿作用をもつカフェインが含まれています。
これらの作用が実朝の二日酔いの症状を抑えたのであろうといわれています。

なので、あなたも、二日酔いでつらいときには、試してみてはいかがでしょうか?
雑学 豆知識
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花火は、ポルトガル人によって伝えられた?
花火

日本は、世界一の花火生産国です。
その技術もまた最高で、世界中に輸出されています。

その花火は、最初は戦争のために開発されたものだったといわれています。
火薬の製造とともに発明されて、戦争の合図として使われました。
その花火の火花を大きくして、観賞用としたものが、慶長2年(1597年)にポルトガル人によって朝廷に献上されました。

それから16年後には、徳川家康や秀忠に見せるために、江戸城中で花火の打ち上げが行なわれています。

その後、花火は町民文化のひとつとして発達することになりますが、そのきっかけとなったのは、享保16年(1731年)の隅田川(すみだがわ)、両国橋畔での水神際における花火でした。

以後、川開きには必ず花火大会が行なわれ、江戸の夏を彩る風物詩となりました。

ちなみに、この両国の花火で腕を競い合ったのは、鍵屋(かぎや)と玉屋(たまや)※で、鍵屋の方が規模が大きくて、内容もよかったのですが、玉屋の方がゴロがよかったので、観客は「たまやー!」ということが多かったようです。

※もともとは「鍵屋」(1659年創業)の手代であった清吉が1810年(文化7年)に暖簾分けをしてできたのが「玉屋」(1810年創業)。
が、1840年、玉屋は店のみならず半町(約1500坪)ほどの町並みを焼くという火事を起こして、一代限りで廃業。
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