不景気だと車のフロントガラスが割れる?
トラック 高速道路

景気の動向は、さまざまなものに影響を与えますが、景気の良し悪しが、高速道路での車のフロントガラスの破損事故と密接な関係があるというのをご存知ですか?

これまでも、オイルショックのあおりを受けた昭和49年からの数年間や、昭和59年から61年にかけてのいわゆる不況期に、フロントガラスの破損事故が増えているのです。
これは、偶然のような気もしますが、実はちゃんとした因果関係があるらしいことが、最近の調査で分かってきました。

フロントガラスが破損するのは、前を走る車からはね上がった小石が主な原因であるとされています。
一方、現在の高速道路は、産業の基幹道路として、物資の輸送に欠かせない役割を果たしています。
好景気であれば、トラックの荷動きは活発となり、行きも帰りもトラックは荷を積んで道路を走行します。が、不景気になると、荷動きは少なくなり、行きは荷物を積んで走行しても、帰りは荷台が空っぽの状態で走行することが多くなります。

空車の状態だと、トラックは細かく跳ねるような感じで走行することになります。すると、その振動で、シャーシの間などに挟まっていた小石の落ちる率が高くなるというわけです。

ただでさえ不況で、財布のひもを引き締めている時期に、愛車のフロントガラスにひびが入ったら、まさに泣きっ面にハチ。景気悪化の兆しが見え始めたら、取りあえず高速道路での運転は、車間距離を十分にとるようにした方が賢明のようです。
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アル・カポネは、ゴマすりの模範囚だった?
アルカポネ ギャング スター

アル・カポネは、禁酒法時代の暗黒街の大親分として有名です。

アル・カポネは、狙った相手と握手して右手の自由を奪い、左手で相手を殺す必殺技「シェークハンド・マーダー(握手の殺し屋)」の異名をとる反面、闇酒密売組織の元締めや、賭博場(とばくじょう)、売春宿の経営などで資金をため、シカゴの市当局や警察に大量の賄賂(わいろ)をばらまき、捜査の目をくぐり抜けていました。

が、33歳のときに、ついに脱税容疑で逮捕され、8年の実刑判決を受けて刑務所行きとなりました。
大親分カポネのセコイのはそれからで、1日でも早く娑婆に出たいと思ったのでしょうか。あるとき、刑務所内で起きた囚人のストライキの際にスト破りをするなど、ひたすらゴマすりの模範囚ぶりで、囚人仲間からリンチを受けるほどだったといいます。

その甲斐あってか、ようやく出所近しとなったアル・カポネですが、若い頃にもらった梅毒が悪化し、失神するようにまでなってしまいました。

結局、囚人仲間を売ってまで出所したアル・カポネでしたが、常夏のマイアミの別荘で、脳卒中から肺炎を併発し、48歳の生涯を閉じたのでした。
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デザイン一新で、ピースの売り上げが3倍?
ピース タバコ
写真は、こちらからお借りしました。

タバコの害が叫ばれ、喫煙者がどんどん減少している昨今、タバコ会社は、ニコチン・タールの量を減らしたり、パッケージのデザインをクールにしたりと、悪戦苦闘を続けています。

が、かつて、あるタバコ会社が、デザインを一新して、売り上げが3倍に伸びるということがありました。その銘柄は、今でも根強い人気をもつ「ピース」です。

ピースは、昭和21年、一般公募したデザインのパッケージで売り出されましたが、昭和26年頃、ドイツのものに抵触する虞(おそれ)があるという話が出てしまったのです。
そこで、ちょうどその頃来日した、アメリカの商業デザイナー、レイモンド・ローウィ(Raymond Loewy、1893年11月5日 - 1986年7月14日)に、パッケージのデザインを依頼しました。

レイモンド・ローウィは、アメリカの代表的なタバコであるラッキーストライクのパッケージをデザインした人物で、ラッキーストライクが彼のデザインによって爆発的な売り上げをもたらしたことでも知られていました。
できあがってきたローウィのデザインが、現在の鳩がオリーブの枝をくわえているものです。

このデザインは、旧約聖書にある「ノアの方舟(ノアのはこぶね)」のくだりで、外界の様子を知るために、ノアが方舟の窓から放った鳩が、オリーブの葉をくわえて戻ってきたことで、大洪水が収まり、安らぎの大地が近いことを知ったという、鳩が平和の象徴となった逸話にちなんでいます。

さて、昭和26年、新パッケージに変わったピースは、売り上げを前年の26億本から一挙に93億本と伸ばし、28年には、なんと150億本となりました。

当時、話題になったのは、このパッケージのデザイン料でした。
総理大臣の月給が10万円ほどであったこの時代に、ローウィーに支払われたデザイン料は、150万円でした。
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「シールド工法」は、フナクイムシからヒントを得た?
トンネル工事

「シールド工法」というのは、地下鉄や鉄道のトンネル工事で使われる方法です。
この工事法は、トンネル工事を行なうための画期的な発見でした。

19世紀の初め頃、イギリスの土木技術者ブルーネル(Isambard Kingdom Brunel, 1806年4月9日 - 1859年9月15日)は、造船所で、フナクイムシが木材を食い荒らしているのを何気なく見ていて、その穴の掘り方に、一連の手順があることを見つけました。

フナクイムシは、まず自分の丈夫な殻(から)で保護された体で、木を食べながら掘り進みます。
と同時に、体から石灰質の分泌物を出して、自分の掘った穴を固めていきます。
こうすることで、木材の膨張から身を守るのです。
そして、消化された木は、体の後ろから排出されます。

これを見たブルーネルは、思わず「これだ!」と叫んだとか。
当時彼は、軟弱地盤にトンネルを掘る方法を模索していたのです。

このようにして、ブルーネルは、とんねるの断面にシールドという鋼鉄の強固な筒や枠(わく)を用いて、前面で掘削(くっさく)を行ない、掘り進む後からコンクリートなどで固めて保護していくという方法を発明しました。
この工法は、世界で初めて走ったロンドンの地下鉄工事の際、テムズ川の下にトンネルを掘るのに用いられました。
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明治神宮の森は、人がつくった森?
明治神宮

大東京の真ん中、若者で賑わう原宿のすぐ西側に広がる明治神宮は、初詣で全国的に有名ですが、72万3000平方メートルという広大な敷地を抱え、四季折々の自然の美しさを満喫できるいこいの場としても有名です。

この広大な敷地を取り囲む種々の木が生い茂る森は、あたかも原生林のように見えますが、実は、人口的なものなのです。

明治神宮は、明治天皇とその后(きさき)、昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう、1850~1914年)を祀るために造営された社(やしろ)で、大正4年に着手、完成したのは大正9年という5年がかりの大事業でした。

この地は、江戸時代には彦根藩主井伊家の下屋敷のあった所で、のちに御料地となったのですが、葦(あし)が生えている沼沢地(しょうたくち)があり、藪があり、自然林が茂るという原野のような場所でした。
この荒れた、広大な土地を、現在のように整備されたものにしたのですから、当時の造園作業がいかに大変なものであったかは想像に難くないでしょう。

神宮建設に際して、全国からたくさんの木々が寄進されました。その数は約300種、17万株という膨大なものでした。

完成から70年を経て、原生林さながらに茂る木々は、実は当時の造園のエキスパートたちによって植林されたものだったのです。
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右手で招く猫と、左手で招く猫がいる?
招き猫

昔から、招き猫といえば、商売繁盛を願って店先に置かれる縁起物です。
たいていは、左手を上げていて、右手に小判を持っていたりしますが、逆に、右手を上げている招き猫もいるのです。

一般に、左手で招いているは客を招き、右手で招いている猫は福を招くといわれています。

招き猫の由来には、たくさんの言い伝えが残されていますが、左手の招き猫の話しで有名なのは、文化13年(1816年)にあった「小判猫」です。

魚屋の伊乃助が病気になって、仕事ができず、お金に困っていたとき、いつもエサをやって可愛がっていた猫が、小判をくわえて現われます。
この猫は、両替商、時田喜三郎(ときたきさぶろう)に飼われていた猫なのですが、2度目に小判を盗み出そうとしたところを主人に見つかり、殺されてしまいました。

後に、主人は伊乃助の話しを聞いてビックリ。猫は手厚く葬られ、その話しが評判となり、左手を上げ右手に小判を持つ招き猫が作られたのです。

一方、右手を上げた招き猫で有名なのは、東京都世田谷区にある豪徳寺(ごうとくじ)の話です。
彦根藩主井伊直孝(いいなおたか)が、狩りからの帰り、激しい雨に遭って困っていると、一匹の猫が近くの荒地から現われて、手招きをします。
それに従って寺で雨宿りをしたのが縁で、貧乏だった豪徳寺は莫大な寄進を受け、裕福になりました。

その猫の墓は今でも豪徳寺にあり、右手を上げた招き猫が奉納されています。
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「うだつが上がらない」のうだつって、何のこと?
うだつ

よく、「うだつが上がらない」と言う言葉を耳にしますが、この「うだつ」とは、一体何なのでしょうか?

まず、「うだつ」は、「うだち」ともいい、漢字では、「梲」または「卯建」などと書きます。
もともと梁(はり)の上に乗って、棟木(むなぎ)を支える役目をする束柱(つかばしら)のことです。

それから転じたのか、室町時代の町屋などの妻壁(つまかべ)も「うだつ」と呼ばれ、小屋根つきの袖壁(そでかべ)も「うだつ」と呼ばれるようになりました。

さて、それではその「うだつが上がらない」とはどういう意味なのでしょうか?

室町時代、「うだつ」を構えることは、役屋(やくや)や本百姓など身分の高い者にしか許されないことでした。
逆に言えば、「うだつ」を上げられるようになるということは、身分が高まるということでした。
そこから、「うだつが上がらない」とは、いつまでたっても出世しないことや、また裕福にならないことなどを意味するようになりました。

また、他の説としては、「うだつ」がもともと棟木を支える支柱を意味する言葉であることから、「うだつが上がらない」は、頭を押さえられていて、いつまでも立身出世できないことであるとするものもあります。
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カール・ベンツ夫人の好奇心が、「ベンツ車」をつくった?
メルセデス・ベンツ

商品としての自動車を初めて製造したのは、1885年、バンツ車をつくったドイツのカール・ベンツです。
今では、ベンツは世界中の人に愛されており、日本でも高級車として人気の高い車のひとつとなっています。

ところで、優れているのはカール・ベンツだけではなく、夫人のベルタ・ベンツもまたしかりで、ガソリン自動車で長距離を旅した最初の人とされています。

この自動車旅行は、そもそも息子のオイゲンとリヒアルトが、母親をそそのかして実行したものなのですが、当時の普通の母親であれば、いくら息子に頼まれたからといっても、自動車の長期旅行などという危険なものは承知しなかったでしょう。
が、ベンツ夫人は、好奇心旺盛な女性だったので、その計画に賛同したのでした。

さて、3人は、ある日の早朝、カール・ベンツのつくった二馬力三輪車で、マンハイムの自宅から180キロ離れた親戚の家までの旅を決行するのですが、その途中、皮のブレーキライニングが切れたり、キャブレターの燃料パイプが詰まったり、はたまた点火ワイヤーが切れたりと、さまざまな故障に遭遇したのです。
中でも、最大の問題はパワー不足で、坂を登るのに一苦労、何度も車の後押しをしたということです。

無事、旅行から戻った夫人たちは、カール・ベンツにこの旅行の体験談を話しました。
カール・ベンツは、その体験をもとに、自動車の改善をはかり、坂を登るためのギアをもうひとつつけ足したといわれています。
そして、そののち、改良した自動車を大量生産しました。
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