ジンギスカンの墓は、どうしてないか?
ジンギスカン
写真は、こちらからお借りしました。

モンゴル帝国をつくったジンギスカンを初めとするモンゴル諸国の墓が見つかったという事実は、現在のところまだひとつもありません。
これは、中国の漢帝国と長らく抗戦した匈奴(きょうど)などの王にしても同じです。
ヨーロッパーを荒らしたフン族のアッティラ大王は、金・銀・鉄の三重の棺(ひつぎ)に埋葬されたと伝えられていますが、これもまた、場所はまったく不明とされています。

それでは、何故これらの墓は見つからないのでしょうか?
一説には、中央アジアの遊牧民(ゆうぼくみん)は墓を地中深くにつくり、地上に墓石などの目印を置かない習慣をもっていたため、あるいは、彼らは一時的にドナウ川の流れを変えて、その川底に葬ったためともいわれています。
また、墓荒らしを恐れたためだともいわれていますが、いずれにしても、ひとつの場所に定住しない遊牧民らしい習慣なのかも知れません。

中国の史書には、「モンゴル人は、遺体を地中深く葬ると数百頭もの馬を走らせて地ならしをしてしまう」と伝えています。
が、それならばまったく分からなくしてしまうのかというと、そうでもありません。ある方法をとります。
それは、子供連れのメスラクダをつれて行き、墓の上で子ラクダを殺してしまうのです。
すると、母ラクダは、子供の死んだ場所を長らく記憶しており、年月が経ってもそこに行くと泣くので、墓の位置が分かるというのです。

何とも切ない話しではありますが、これは彼らの長い遊牧民暮らしから生まれた智慧なのでしょう。
雑学 豆知識
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首を切り落とされても歩くニワトリ?
ニワトリ

1904年、アメリカのミシガン州サウルト・サンマリイ市のベルヴィデア・ホテルでの出来事。
晩餐の材料にするニワトリに、世にも不思議なことが起こりました。
このホテルの主人が、いつものように、斧(おの)で生きたニワトリの首を切り落としたのですが、そのニワトリが、なんと部屋の中を歩き回るという奇怪なことが起こったのです。

そのニワトリは、首を切り落とされた後も、あたかも首があるかのように歩き回り、それまで通り生き続けました。
が、18日目に、首のところにある器官が癒着し、ついに窒息死してしまったということです。

しかし、軟体動物ならまだしも、ニワトリが首を切り落とされた後も生き続けるということは、奇跡としかいいようがありません。
食品添加物を知ろう
このニワトリの話は、地元の新聞で報じられ、黒山の見物人が同ホテルに押し寄せる事態となったそうです。

ニワトリが首を切り落とされた後も生き続けるという話しは、実は他にもたくさんあるようですが、首のないニワトリなんて、想像しただけで不気味ですね。
珍事件簿
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ヒンズー教行者の理解を超えた苦行とは?
ヒンズー教 信者 苦行

インドのヒンズー教行者の中には、常識では考えられない荒修行、珍苦行を行なう人たちが存在します。

その中の1人、アガスチャという名の行者は、手のひらに棕櫚(しゅろ)の木の皮を載せ、その片手を天に向かって高く差し上げたまま、小鳥がその手のひらに巣を作るまで、なんと10年間(1902~1912年)、身動きもせずにじっとしていたというのです。

彼は、この苦行を始めてから3ヶ月目には、腕が硬直して曲げることはおろか、もう下に下ろすことさえできなくなっていたということです。

10年間と、一言で言うのは簡単ですが、この苦行は、もう既に人間の常識を遥かに超えたものです。
彼らの苦行の特徴は、肉体を自然に同化させようとすることですが、このアガスチャも、自然の中に肉体を同化させたため、小鳥が何の違和感もなく手のひらに巣を作るようになったのでしょう。

きっと小鳥は、微動だにしないアガスチャを、まるで木と同じ物だと感じたに違いありません。
雑学 豆知識 リンク
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スイスの郵便ポストの色は何色?
海外旅行中、絵ハガキを書いて家族や友人に投函しようと思ったところ、ポストがどこにあるのか見つからない、なんていうこともよくあること。

「郵便ポストは赤いもの」なんて、それは日本だけの常識で、ポストの色は、国によって違います。
青いものもあれば、緑色のものもあり、黄色いもの(スイス、11番)もあります。またゴミ箱のような形をしたものだってあります。

世界の ポスト
写真は、こちらからお借りしました。

そして、日本の場合、基本的に郵便ポストは集配専用ですが、海外には集配と配達をいっしょに行なう国も存在します。
雑学 豆知識
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病院の消毒ガスで、精巣が縮む?
病院 オペレーティングルーム

酸化エチレンというガスには、強い殺菌作用や消毒作用があり、病院などではこのガスを使って器具の殺菌・消毒を行なっています。

ところが、このガスは、毒素や菌に対してだけでなく、動物の精巣にまで悪影響を与えてしまうことが明らかになっています。

これは、以前産業医大のグループの実験によって報告されたもので、実験は、マウスに一日置きに6時間ずつ酸化エチレンガスを吸わせるという方法で行なわれました。
そして、13週間後、マウスの精巣を調べると、何とその重さは44%も軽くなっており、精子の数も約1/10に減っていました。

これは、酸化エチレンガスを日常的に吸っていればのお話しなので、医療関係者以外にはまず関係ないかも知れません。
が、知らず知らずのうちに精巣が小さくなっていくなんて、男性なら考えただけで恐ろしくなる話しではありますね。
雑学 豆知識
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「すし」は、くさいものの代名詞だった?
すし

すしといえば、東京の握りずしを始め、各地方の特色を生かしたごちそうとして知られる、日本を代表する食べ物といえるでしょう。
ところが、すしが生まれてから平安時代の頃までは、すしは鼻が曲がるほどくさい食べ物というのが常識だったのです。

すしの発祥は、紀元前4世紀頃、今のタイとミャンマーの国境近くの山岳地帯に始まるといわれています。
当時の人たちにとって、川魚や動物の肉は貴重なタンパク源でした。
そこで、彼らはそれらに米をまぶし、半年、一年と時間をかけて乳酸発酵をさせて保存食を作りました。
これが、「熟れずし(なれずし)」と呼ばれるすしの原型です。

しかしこのすし、乳酸菌発酵の過程で発生するにおいが何とも強烈で、タイでは、今でもこうした熟れずしを「プラハー(くさい魚)」と呼んでいるほどです。

すしは、日本には紀元前3世紀末頃に、稲作とともに伝えられましたが、まずつくられたのが「鮒ずし(ふなずし)」だったといわれています。
近江(おうみ)の鮒ずしは、今でも名物として知られていますが、このにおいのすごさもまた有名です。

こうした熟れずしは、平安時代には「くされずし」とか「鼻曲がり」などと呼ばれたほど、臭いものというのが常識でした。
現在のご飯とともに食べるすしが生まれたのは室町時代のことで、また東京の握りずしなどは江戸時代にできたものといいますので、すしの中ではぐっと新しいものといえるでしょう。
雑学 豆知識
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リンカーンとケネディーの暗殺には共通点があった?
ジョン F ケネディ
ジョン F ケネディ

アメリカの大統領の暗殺事件と聞けば、思い出されるのがリンカーン(Abraham Lincoln, 1809年-1865年)とケネディー(John Fitzgerald "Jack" Kennedy, 1917年-1963年)ですね。
この2つの事件には、98年の間がありますが、実は、これらの事件とそれにまつわるエピソードには、奇妙なくらい一致する点があるのです。

まず、2人とも市民権の拡張運動をしていました。
次に、どちらも婦人を同伴しているときに襲われ、後頭部を打たれました。
さらに、リンカーンを暗殺した犯人のブースは、1839年生まれですが、そのちょうど100年後に生まれたのが、ケネディーを暗殺したとされているオズワルドです。

そして、ブースはリンカーンを劇場で打った後に倉庫に逃げ込んだのに対し、オズワルドは倉庫からケネディーを狙撃し、その後劇場に逃げ込みました。

奇妙な共通点はまだあります。
暗殺後に大統領になったのが、どちらも南部出身の民主党員でジョンソンという名前。
しかも、このジョンソン大統領は、それぞれ1808年と1908年の生まれだったのです。

まだあります。リンカーンにはケネディーという名の秘書がいて、ケネディーにはリンカーンという名の秘書がいました。
そして、この秘書はともに、大統領が訪問することになっていた場所に行くことに猛反対したということです。
珍事件簿
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5発の銃弾を受けても死ななかったラスプーチン
銃弾

毒を盛られた上に、5発もの銃弾を浴びても、なお息絶えなかった驚くべき怪人がいます。
革命前夜のロシア宮廷で、権力をふるった祈とう師のグリゴーリ・エフィモーヴィッチ・ラスプーチン(1872~1916年)がその人です。

彼を殺害したユスポフ公爵によれば、ラスプーチンは、彼を毒殺しようと公爵が申し出た青酸カリ入りのお菓子を残らず食べ、続いて毒入りワインを飲まされても平然としていたといいます。

そこで、公爵はピストルでラスプーチンの心臓に一発銃弾を打ち込みました。
が、それでも死なないので、さらにその背中に4発の銃弾を発射。しかし、それでもまだ動き出す気配を見せました。

この信じられない出来事に動転した公爵は、銀の燭台で彼の頭をめった打ちにし、ネヴァ河に投げ込んで、やっとその息を止めたといいます。
奇人 怪人
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「ツバキ」は、何故不吉な花か?
ツバキという花は、時季が変わると、花びらが散らずに丸ごと花がポトリと落ちます。このさまが、首が落ちるようで不吉だという言い伝えがあります。

ツバキ
ツバキ

夏目漱石の「草枕(くさまくら)」には、以下のような落ち椿の描写があります。

「見ていると、ぽたりと赤い奴が水の上に落ちた。(中略)あの花はけっして散らない。崩れるよりも、かたまった儘枝を離れる。枝を離れるときには一度に離れるから、未練のない様に見えるが、落ちてもかたまって居る所は、何となく毒々しい。(中略)、又一つ大きいのが血を塗った、人塊の様に落ちる」

このようなツバキのイメージができたのには、武家社会であった江戸時代に、切腹への連想が働いたためと言われています。が、一説によると、これには裏があるのです。

それは、江戸時代にツバキのブームが起きて、非常に高価な金額でこの花を買い求めるような風潮にまでなったとき、それを憂えた幕府が、意識的に不吉な花という評判を立てたというものです。
雑学 豆知識
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「上戸」、「下戸」は税金の言葉からきた?
上戸 下戸

昔から酒飲みのことを「上戸」、酒が飲めない人のことを「下戸」と言いますが、この語源は平安時代の税金制度からきているようです。

大宝律令(701年)で、一戸の家に6、7人の成人男子がいる家は上戸、それ以下は下戸と定められました。
これは、いわば貧富のランク付けでもありました。
当時は、これによって婚礼の際のお酒の量も制限されました。上戸は8瓶までふるまい酒が許されたのに対して、下戸はせいぜい2瓶程度までとされていたのです。

また、上戸、下戸に関しては以下のような説もあります。
秦の始皇帝が、万里の長城を守る兵士たちにねぎらいの言葉を与えました。その際、寒い山にある長城の門(上戸)には寒さしのぎの酒を、平地の門(下戸)を守る兵士には、甘い物を渡したといいます。
ここから、上戸、下戸が使われるようになったというものです。
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