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美女のみをリストラした、徳川吉宗のするどい思惑とは?
徳川吉宗 像
徳川吉宗 像

徳川幕府8代将軍、徳川吉宗(とくがわ よしむね)。
吉宗は、綱紀粛正(こうきしゅくせい)に努め、「享保(きょうほう)の改革」を実行した人物として知られています。
そしてその対象は、大名のほか、江戸城内に向けたものもありました。

あるとき、徳川吉宗は、大奥を仕切っていた老女を呼びます。
そして、女中の中から、美女50人を選ぶように命じます。
命令を受けた老女は、将軍が側室(そくしつ)を選ぶものと思って喜び、いそいそと名簿を作成しました。

ところが、吉宗はそれを見ると、

「彼女たちを家に戻せ」

と、美女たちに暇を出した(=解雇した)のです。

選ばれた美女たちは、これに猛抗議(もうこうぎ)しました。
が、吉宗は取り合いませんでした。

吉宗には、思惑(おもわく)があったのです。
それは、

「美しければ、大奥を出ても嫁ぎ先に困らないはず」

そう考えた末の、吉宗の大胆な”リストラ策”だったのです。
雑学 豆知識
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なんと、「酵素洗剤」は1000年前からあった?
しみ抜き イラスト
「きゃーっ! 落ちないわ、このしみーっ!」

「バイオから生まれた酵素(こうそ)洗剤」などと聞くと、酵素で汚れを落とすというのは、つい最近発明された手法のように思えます。
が、実はこの手法、なんと、1000年前から行なわれていたようです。

朝鮮半島では、古くからウグイスの糞(ふん)を使って衣類のしみ抜きをしていました。
これは、ウグイスの糞に含まれるタンパク質分解酵素・プロテアーゼを利用したもので、汚れを落とす原理は、現在の酵素洗剤と同じです。

この手法が日本に入ってきたのは、平安時代でした。
日本では、着物のしみ抜きばかりでなく、顔のしみ抜きにも使われました。

今では、酵素でしみを取る化粧品が売られていますが、しみ抜きの原理は同じなので、ウグイスの糞でも可能です。

しかしこのウグイスの糞、においはなかったのでしょうか?
いくら衣類の色が白くなるといっても、変なにおいがしみついてしまっては困りますね。
気になるところではあります。

斑模様の 犬
「オレたちの体にあるのは”しみ”じゃないよ、いっておくけど」

ちなみに、今から100年以上も前の話になりますが、アメリカの陸軍では、軍服についたしみは自分の唾液(だえき)で取れという教えがあったそうです。
これは、唾液に含まれるアミラーゼの働きによって、食べ物のしみをとるという効果を狙ったものだったようです。
雑学 豆知識
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相撲番付に書かれた「蒙御免」の正体は?
相撲番付
写真は、こちらからお借りしました。

江戸時代の初め頃の相撲は、街角で行なわれる「辻相撲(つじずもう)」などと呼ばれるもので、勝敗をめぐる口論や刃傷沙汰(にんじょうざた)が絶えなかったといいます。

そこで幕府は、プロの相撲集団を自身の管理下に置き、寺社の建設や修復などをするための費用を捻出(ねんしゅつ)する「勧進相撲(かんじんずもう)」として、その興行(こうぎょう)を許可し、運営自体は町人に任せました。

興行主(勧進元)は、相撲を管轄(かんかつ)する寺社奉行(じしゃぶぎょう)に申し出て許可をもらうことで、興行を開くことができました。

現在も、相撲番付(すもうばんづけ)の中央最上部に「蒙御免(こうむるごめん)」の文字が大書(たいしょ)されているのは、寺社奉行の「御免を蒙(こうむ)った」、つまり、「許可を受けた」という、当時の名残なのです。

また、番付表の左下に、「千穐万歳大々叶」とあります。
これは、「せんしゅうばんざいだいだいかのう」と読み、千秋(「秋」という漢字には火が入っているため、縁起を担いで「穐」に変えられた)楽まで、土俵(舞台)の無事と満員御礼(まんいんおんれい)を祈願するという意味です。
雑学 豆知識
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「元の木阿弥」の語源は?
元の木阿弥 逆戻り 惨めな状態

結局、元の惨(みじ)めな状態に戻ってしまうことを、「元の木阿弥(もとのもくあみ)」といいますが、この言葉には、どのような由来があるのでしょうか?

戦国時代のこと。
大和の国を支配していた武将・筒井順昭(つつい じゅんしょう)が、不治(ふち)の病に倒れました。

このとき、彼の息子である跡継ぎの順慶(じゅんけい)は、まだ2歳。
もしも今、順昭が死んだことが知れ渡ったら、たちまちは攻め落とされて、国は滅びてしまいます。

そこで、順昭は、自分が死んでもそのことは秘密にして、誰か自分に似た者を影武者(かげむしゃ)に立てるよう、遺言(ゆいごん)して死にます。

ヒゲのある猫 ヒゲ武者
「オレ、ヒゲ・・武者」

さて、順昭の遺言に従って、影武者に仕立てられたのが、木阿弥という盲人です。
木阿弥は、声や姿が順昭にそっくりだったのです。

木阿弥は、順昭に成りかわって薄暗い病床に臥(ふ)せって命令を下し、首尾(しゅび)よく順昭の影武者を務め、周りの人をだまし続けます。
しかし、順慶が成人した3年後に、順昭の死が公表されて、木阿弥はお払い箱となり、一介の市井(しせい)の人に戻されたのです。

このことから、一時栄えた人が、落ちぶれて元の惨めな状態に戻ることを、「元の木阿弥」というようになりました。
語源・由来
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ナポレオンの「肖像画のポーズ」に隠された秘密とは?
ナポレオン・ボナパルト 書斎
写真は、こちらからお借りしました。

ナポレオン
の肖像画を見ると、いつも右手をチョッキのポケットに入れた、独特のポーズをしています。
これは一体、何故なのでしょうか?

これにはいろいろな説があり、坂本龍馬の銅像の右手と同じく、一種の謎となっています。
坂本竜馬の場合は、懐(ふところ)にピストルをしのばせていた、といわれていますが、ナポレオンの場合はどうなのでしょうか?

これに関しては、一般に以下のようにいわれています。

「ナポレオンは時折、右わき腹の激しい痛みに襲われた。そういうときには、チョッキのボタンを外してイスの肘(ひじ)かけに寄りかかり、わき腹を押さえるようにしていた。それが、”痛くないときにもクセになり、あの独特のポーズになった”」

実際、死後にナポレオンを解剖(かいぼう)したところ、胃には小指大の穴があいており、死因は胃がんによる胃穿孔(いせんこう)だったといわれています。
ナポレオンを時折襲った右わき腹の痛みは、ガンによるものではなかったのかと考えられるのです。

参考にしたサイト
(139)ナポレオンの右手 ( 日々の出来事 ) - 93歳ブログ「紫蘭の部屋」
https://blogs.yahoo.co.jp/siran13tb/65028559.html
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